担当について考える④
松島くんの高校生の夏は六本木の地下に閉じ込められてました。よって、私も閉じ込められてました。2年ですよ、2年。勝利と2人でDKという年だったのに、2人が一緒の現場がなかったことを今でも恨みます。(そもそもこの体制を敷いた大人のことは忘れないと誓っています)
ただ現場があるのはせめてもの救いでした。地上波はおろか、BS、CSでさえ見ることのできなくなった松島くんでしたから、形はどうであれありがたかったなぁと思います。
六本木2年目が終わったあと、待ちに待った瞬間が訪れます。
5人で新曲!!!!!
3人でも大勢でもなく5人!!!!
嬉しかったです。ついにこの時が来たかと。リリイベにも行きました。5人の影が映った時、涙が出ました。やっとここまできたと。本人たち、中でも勝利くんがとても嬉しそうで幸せそうで、よかったなぁと感じました。
それでもまだ不安は残っていました。また3人になるんじゃないかと…この数年ですっかりトラウマになってしまって、嬉しいけれど、信じられない…という複雑な気持ちでした。
Qrに徐々に松島くんやマリウスくんが呼ばれるようになりました。らじらーが始まりました。バレーのサポーターを5人ですることになりました。シブ5時も決まりました。(時系列ぐちゃぐちゃだと思います)こうやって仕事が決まっていくにつれて、徐々にもう3人に戻ることはないのかなと思えるようになりました。
Welcome to Sexy Zoneが発売されました。やっと5人のアルバムと言えるものが発売できたなと思いました。それでも相変わらず松島くんやマリウスくんにはソロ曲はなかったですし、歌割も全然少なかった。いきなりは変わらないよね、仕方ないよねと思いました。5人の名義で出せるだけで幸せと思わなきゃいけないと思い込みました。
そしてこのアルバムを引っさげてのツアー。ガイシにSweety Girlが流れて、松島くんの歌声が聞こえた時、ここまで長かった…と大号泣しました。隣にいた中学生のお母さんがドン引きしてました。こんなはっぴーな曲でこの人号泣してる…と。(そりゃそうだ)
さらにコングラの歌割を変えて、5人それぞれが歌うパートができていて、これからは5人でやっていくんだという強い決意が見えました(当然号泣)
1公演目は泣きすぎて記憶がないくらい泣きました。後にも先にもこんなに泣くコンサートはないんじゃないかと思います。これでやっと、普通に応援できる。うちの子たちすごいんです!!とおすすめできると思っていました。
担当について考える③
誰かを悪く言うつもりはありません。でもそれが大きなきっかけになりました。
15周年の発表があったとき、相葉さんが昔から応援してる人たちとお祝いしたいと(というような趣旨の話を)言いました。なんの悪気もなかったこと、よくよくわかっています。素直にそう思うのも当然だと思います。ただ、当時の私は
あぁ私は行ったらダメなんだな
と思ってしまって、そこからはもうファンしてたらだめだなんだとどんどん自分を追い込んでいきました。
振り返ると別に気にしなくてもよかったのかもしれないなぁと思いますけど、それは今だから思えることで、当時は無理だったなぁと思います。
これが大きなきっかけになって、これから私はこのまま嵐を応援していくのかなぁと考え始めました。今思えば、このときにはある程度松島くんに降りる覚悟ができていたような気がします。すごくすごく考えたうえで、これ以上嵐を1番に応援していくことは、私の気持ちも壊れてしまうと思って、降りることを決断しました。2014年の6月のことです。
降りたと言っても、全部を一気にやめたわけではなくて、自分の中で1番が変わっただけで、やってることは変わりませんでした。
というのも、この時期は俗に言うセク鬱と言われる時期だったからです。Sexy Zoneの人数が3人に見えたり、9人に見えたり、それ以上に見えたりしていました(ほんとは5人です)松島くんとマリウスくんはドル誌でJr.のページにいました。Sexy Zoneのコンサートと銘打っているのに、そこに2人はいるのかとザワザワするような時期でした。
忘れもしないセクセカコンの横アリ公演。松島くんのバク転演出がなくなりました。5人で登場するシーンが3人になりました。そして…派生ユニットが発表されました。3人が正式メンバーみたいな話も出ていたと記憶しています。
それからは…何をするにも3人。発売するCDも3人名義ばかり。松島くんにいたっては、少年倶楽部にも出ない、そんな日々が続きました。Jr.と一緒にガムシャラに出ることもありました。そのガムシャラ公演がSexy Zoneのコンサートと日程がしっかり被っていて、あぁSexy Zoneじゃないんだなって思ったこともありました。前述の通り、ドル誌はSexy Zoneのコーナーではなくて、Jr.のコーナーにいました。この仕打ちはなんなんだろうと怒り、涙したこともありました。悔しくて。本人はすごく頑張っているようにみえて、それがさらに辛かったです。
こんな危機的状況においても、松島くんのファンをやめようと思ったことはありませんでした。きっと5人になってくれると信じていました。
担当について考える②
社会人になって無事ヲタクに復帰した私ですが、社会人の悪いところは有休がそこそこ自由に取れるところと、お金があるところで、怒涛の遠征三昧が始まりました。
友達はいなかったのですが、2011年くらいからTwitterを始めてフォロワーさんと遊ぶようになりました。それがきっかけで色んなところに遠征するようになったような気がします。彼氏と別れたこともあってどんどん加速していきました。
ひとつ問題だったのは、嵐の人気の異様さでした。チケットは取れないし、当落の話題はタブーとされていたし、とてつもなくピリピリしたタイムラインでした。楽しかったですけど、この時ばかりは苦しかったです。
そんな中、友達の1人が城ホでSexy Zoneのコンサートあるんだけど、くる?と誘ってくれました。
あーあのすごい名前でデビューした子たちね、というのが第一印象でした。まぁ友達に会えるなら…という軽い気持ちで遠征しました。きんき、あらしと完成されたコンサートばかり見ていたので、とても未完成なステージだなと率直に思ったのを今でもよく覚えています。でも、若さと未熟さの中に必死になって楽しんでもらおうとしている姿がありました。
そのあとも梅芸でSUMMERYっていうのがあるんだけど、くる?と言われて、行ったり、お正月にコンサートあるんだけど、と言われて行ったり…気づくと現場の数がどんどん増えていきました。
そんな中、松島聡くんのダンスが目に止まるようになりました。歌うパートがあるわけでもなければ、喋れるわけでもない。それでも見る都度ダンスがめきめき成長しているのがわかる。気になるなぁ…とだんだん松島くんを見るようになっていました。ただ、当時の松島くんは中学生か高校生かという歳で、私はとっくに社会人で、これはダメなやつだよと思っていました。それに二宮くんのことが当然1番でしたし、嵐優先であることに変わりはありませんでした。
そんな時嵐の15周年公演がハワイで行われることが発表されました。
担当について考える①
巷で流行っていた担降りブログを見ていて、みんな色々考えてるんだなぁと思っていました。
私はというと元々のジャニヲタの始まりは10歳くらいで見た初代金田一なのです(のちにそれが堂本剛という人だと知ることになる)
それから20歳過ぎくらいまでずっとKinKi Kidsを応援していて、所謂オタクをしてきました。
当時の剛くんの世界観は今以上に独特で、このまま引きずり込まれたら戻れなくなるかもしれないという危機感から卒業を決め、大学のゼミに打ち込んでいました。それから2年くらいはヲタ卒できていたのです(これを奇跡と呼びます)
ただ会社に入ったら何かと辛くて(今と比べれば天国ですけれど、当時の私には辛かったんです)テレビを見たらなんとそこに楽しそうに笑う嵐がいたんですよ。
元々Jr.の頃の二宮くんが好きで、ドラマとかは見ている所謂お茶の間だったわけです。当時はずっとKinKi Kidsのファンだったので、嵐ファンになるっていう概念がなかった。掛け持ちとかいうことも考えたことがなくて。ただ気づいたらすごい追いかけるようになってて、ファンクラブに入ってて、DVD買っていて、めでたくヲタク復帰を果たしたわけです。それが2008〜9年の出来事です。
ちょうど嵐の人気が意味不明なレベルにうなぎのぼろうとしている時ですね。今思えばとんでもない時期に復帰しちゃったなぁと思います。
一旦ここまで。
これからさらに一山超えて、現在に至ります。
自分次第
ブログ開設してみた。
ブログ自体はとても久しぶり。
ブログタイトルはジャニーズWESTの「人生は素晴らしい」で桐山照史さんのソロパートになっている歌詞からいただきました。
正直毎日辛いばっかりですけど、この歌を聴いて、自分次第だなってすごく心に響いたので。
いつまで続くかわからないけれど、どんなブログにするかも、いつまで続けるのかも、自分次第。
マイペースにやってみます。
- アーティスト: ジャニーズWEST
- 出版社/メーカー: ジャニーズ・エンタテイメント
- 発売日: 2016/07/27
- メディア: CD
- この商品を含むブログ (2件) を見る