じぶんしだい

不器用なじゃにおたによる独り言

担当について考える③

誰かを悪く言うつもりはありません。でもそれが大きなきっかけになりました。

15周年の発表があったとき、相葉さんが昔から応援してる人たちとお祝いしたいと(というような趣旨の話を)言いました。なんの悪気もなかったこと、よくよくわかっています。素直にそう思うのも当然だと思います。ただ、当時の私は

あぁ私は行ったらダメなんだな

と思ってしまって、そこからはもうファンしてたらだめだなんだとどんどん自分を追い込んでいきました。

振り返ると別に気にしなくてもよかったのかもしれないなぁと思いますけど、それは今だから思えることで、当時は無理だったなぁと思います。

これが大きなきっかけになって、これから私はこのまま嵐を応援していくのかなぁと考え始めました。今思えば、このときにはある程度松島くんに降りる覚悟ができていたような気がします。すごくすごく考えたうえで、これ以上嵐を1番に応援していくことは、私の気持ちも壊れてしまうと思って、降りることを決断しました。2014年の6月のことです。

降りたと言っても、全部を一気にやめたわけではなくて、自分の中で1番が変わっただけで、やってることは変わりませんでした。

というのも、この時期は俗に言うセク鬱と言われる時期だったからです。Sexy Zoneの人数が3人に見えたり、9人に見えたり、それ以上に見えたりしていました(ほんとは5人です)松島くんとマリウスくんはドル誌でJr.のページにいました。Sexy Zoneのコンサートと銘打っているのに、そこに2人はいるのかとザワザワするような時期でした。

忘れもしないセクセカコンの横アリ公演。松島くんのバク転演出がなくなりました。5人で登場するシーンが3人になりました。そして…派生ユニットが発表されました。3人が正式メンバーみたいな話も出ていたと記憶しています。

それからは…何をするにも3人。発売するCDも3人名義ばかり。松島くんにいたっては、少年倶楽部にも出ない、そんな日々が続きました。Jr.と一緒にガムシャラに出ることもありました。そのガムシャラ公演がSexy Zoneのコンサートと日程がしっかり被っていて、あぁSexy Zoneじゃないんだなって思ったこともありました。前述の通り、ドル誌はSexy Zoneのコーナーではなくて、Jr.のコーナーにいました。この仕打ちはなんなんだろうと怒り、涙したこともありました。悔しくて。本人はすごく頑張っているようにみえて、それがさらに辛かったです。

こんな危機的状況においても、松島くんのファンをやめようと思ったことはありませんでした。きっと5人になってくれると信じていました。