じぶんしだい

不器用なじゃにおたによる独り言

落ち込まないオタク活動

自担が変わってしまったと嘆くオタクがいます。私もそう思ったことが過去にあったような気がします。

 

人は変わる生き物だと思います。良くも悪くも。同じ人間である以上、タレントさんが変わることもあれば、オタクが変わることもあると思います。ただ往々にして自分が変わったのではなく、他人が変わったと思いがちなのではないでしょうか。

 

ずっと同じ熱量で、ずっと同じ気持ちで応援できたらきっと幸せなんだろうと思うけれど、時とともに欲が出てしまうのも事実。初めは「コンサートに行ければいい」だったのに、気づけば何回も行きたいになっているし、ファンサだってほしいなーと思ってしまう。それがいけないことだとは思いません。でもその願いが叶わないからと言って、タレントさんに当たるのは違うのではないかと思うんです。

 

当然本人も変わっているんだと思います。いつまでも同じでは成長がないからです。そしてその変化は、本人よりも周りの方が気づきやすいように感じます。私も、無自覚ですけど、上司に去年と全然変わってるよと言われることがあります。言われてもわからないくらいです。

その変わり方は、本人にとってプラスでもファンにとってプラスとは限らないのかなと思うこともあります。当然、良くない変わり方をすることもあるでしょう。また、前述の通り、自分が変わったから、なんだか腑に落ちないのかもしれません。

いずれにしても、それでもファンでいるのか、やめるのかは、こちら側に選択権があるわけで、無理ならやめればいいだけの話です。

 

ただ、そんなに簡単に割り切れる話でないことは理解しています。悲しい気持ちになることもあるし、昔は良かったって思うこともある。いろんな葛藤があって、やめるとかやめないとかを決めていくんだと思います。

 

きりやまくんが変わったと思ったとかそういう話ではないのですが、私自身も、我儘になっていたりするのかなーと思ったりしていて、自分自身の気持ちの整理というか、そのために書きました。

 

相変わらず、シンプルに顔が好きだし、歌って踊るのかっこいいし、髪型に一喜一憂するし、オールバックに興奮して、初めましての方の腕を取ってしまったし、やめるとかやめないとかそんな葛藤は微塵もなくて、全然やめないですけど、細々したことで落ち込んだりしないオタク活動をしていきたいなぁと思った次第でした。

 

KinKi Kidsという世界

なんとも言葉にならなくて、でも言葉に残しておきたくて、こんなに時間が経ってしまったけど、残しておこうと思います。

 

つよしくんが突発性難聴になってから初めてのKinKi Kidsのコンサート。2017年に私がこの目でみる初めてのKinKi Kidsでした。

 

かれこれ10年以上前。

その日のつよしくんの気持ちや体調を心配してコンサートが始まるのを待っていたことを思い出しました。当時は私も10代で、つよしくんの状態もよくわかっていなくて、気分屋さんと思っていたし、それが正直でかっこよくみえてた時期でした。

今ならもっと別の感じ方をしたんでしょうが、当時はそんな風に思っていました。

 

無理をしているのは見ずともわかっていることでした。発病から半年経つか経たないかでコンサートなんて、無理してるに決まってる。どんな表情で出てくるんだろう。どんなコンサートになるんだろう。吐きそうなほど緊張していました。

 

少し緊張感のある、神妙な面持ちのつよしくんとしっかりと前を見据えたこうちゃんがそこにいました。

オーケストラの壮大な演奏に乗せて、2人の歌声が響き、ここまでくるのにどれだけの人が動いて、本人たちがどれだけ頑張ったんだろうと思うと、気づいたら泣いていました。そして、ふぉ〜ゆ〜が2人を支えてくれていました。光ちゃんも言っていたけど、忙しい中、2人のために集まってくれた4人を見た時も涙が止まりませんでした。

そして、何よりも2人で歌ってくれることのありがたさを感じましたし、2人じゃなきゃやっぱりだめなんだと改めて思いました。

 

ただ、口を開けば、いつものKinKi Kidsで、特に初日はこうちゃんが嬉しそうで、2人で東京ドームに立てること、2人で歌えること、2人でMCできること、全部全部楽しそうで、その姿にも涙が出そうになりました。私は上手にいたので、MC中は光一くんの後頭部しか見えなかったですけど、後頭部からでも伝わる楽しくて仕方ない感がすごかったです。2日目のまたごむのくだりなんて、ほんとただただKinKi Kidsでしかなくて、100人のオーケストラの皆様は驚かれたのではないかと思うし、オーケストラもバンドも7万人弱のファンもぜーーーーーーんぶ置き去りで、とても良い時間でした。

 

つよしくんのお話をすると、ソロコーナーでダンスを踊っていました。歌うことに集中するから、歌いながら踊ることはできない状況で、踊ってくれたことが私には嬉しくて仕方ありませんでした。私はつよしくんのダンスが大好きです。それをみることができたのが幸せでした。踊ってくれるんだ…って息をのみました。まさかだったから。どんな理由であれ、踊ろうと思ってくれたことが嬉しかったんです。

 

今の状況を受け止めて、その中で最善を尽くす。簡単なことのようで難しいと思います。ただ、2人なら乗り切れるような気がしているんです。20周年の時に、5年後、10年後、笑いあっててほしいと思ったけれど、この人たちならきっと笑いあってるんじゃないかって思えました。絶対はないし、信じられないようなことが次々と起こるけれど、きっとなんらかの形で笑いあってくれてるような気がします。

 

つよしくんが自担なのかといえば、今の自担はつよしくんではありません。1番に追いかけているのがKinKi Kidsなのかといえば、やはりそうではないです。でも、KinKi Kidsも、光ちゃんも、つよしくんも、唯一無二の特別な存在なんだなと今回改めて思いました。

 KinKi Kidsという世界が私にとって特別で大好きで大切でどんな時だって居心地がいいんだなと思いました。

 

これから先、どうなるのかわからないけど、突発性難聴から、突発ラブって言葉を作って、それをTopaz Loveという曲に仕上げて歌う2人なら、きっと世界は2人を愛すると思う。

 

 

 

 

色んな考え方があるよなと思った話

先日、ジャニヲタさんが集まっているところにお邪魔する機会がありました。

ジャニヲタさんも十人十色。いろんな方がいらっしゃるのはわかっていましたが、そういう考えもあるのかーと感心したというか、私にはちょっと理解できなかったけど、こういう考えもあることを知れたのは良かったなと思ったことがあるので、書き留めておこうと思います。

 

その方がなぜ突然そんな話をされたのかわかりませんが、チケットの同行やら、交換やらについて、こんな風におっしゃっていました。

 

そもそもチケットの交換だって本来違反なんだし、当日何があるかわからないんだから、突然キャンセルしたりすることに過敏に反応するのはおかしいと思う。

だから、私は当日まで交換できたらラッキーくらいに思ってる。

 

確かに。

一理ありますよね。

それはたぶんお友達との交換とかであれば、この理屈も通るのでしょう。

例えばTwitterなんかで交換を探したりする場合、概ね会ったこともなければ、そんなに話したこともない人が相手になることが多いように思います。

その時に、この理屈が通用するのかなぁと私は思うわけです。

突然キャンセルを言い渡された相手は、ほぼ見ず知らずの人にそれらしい理由を言われて、信じることができるのでしょうか。悲しいかな、性悪説にたった考えをするのではないか…と思うのです。

私も過去に一方的にキャンセルを言い渡されたことがあります。その時の理由も、非常にもっともらしかった。今となってはそれが本当だったのか嘘だったのかもわかりません。でも一言の相談もなくただこういう理由なので白紙にしてくださいと宣告するのは、こういう考えが根底にあるなら理解はできますが、誠意のない対応だなぁと思わざるを得ないのです。

 

来年から始まるWESTival。

申し込みが始まり、デジチケに怯えながらどう申し込むかを考えているわけですが、世の中にはこういう考えの人もいるんだということを肝に銘じておかなければならないなぁと思いました。

 

ほんと…難しいな…

 

舞台アマデウスを走りきった話

2017年9月24日から池袋で始まった舞台アマデウス
ジャニーズWEST桐山照史くんが松本幸四郎さんに抜擢された舞台。
それが2017年10月25日に久留米で大千穐楽を迎えました。

初日に舞台に立つ桐山くんを見たときは、今思えば緊張感のある、少し固いような感じがしたのに、最終日にみた桐山くんは、そんな違和感全く感じさせない、モーツァルトそのものでした。


千穐楽
照史くんが言葉を発する機会がありました。
声を出した瞬間…

照史くんでした。

当たり前なんですけど。
ついさっきまでモーツァルトだったし、なんなら格好はモーツァルトなんですけど、話した瞬間、わぁ照史くんだ…って思って、気づいたら泣いていました。

この1ヶ月、モーツァルトとしての桐山照史をずっと見てきていて、どんどん生き生きしていく桐山照史を見てきました。
途中から照史くんなのかなんなのかわからなくなるくらいモーツァルトだったので、照史くんを見に行っているし、そこにいるのは照史くんに間違いないんですけど、なんか遠いものを見ているような気持ちになりつつありました。
だから、期間中にヒルナンやレコメンを見ていると不思議な感じがしたし、ジャニーズWESTの映像を見ているのも不思議な感じがしていました。

そんな気持ちで迎えた大千穐楽で、舞台の上に照史くんがいると感じることができたのは、私にとってとてもとても大きな出来事でした。

俳優しているのを見るのは、寂しい気持ちになるので苦手です。コンサートの方が絶対的に好き。それはたぶん変わらないんだろうなぁと思います。
でもそこにいるのが桐山照史であるのかもわからなくさせるくらいの演技を見せてくれる照史くんの演技は、これからもみたい。そう思える舞台でした。それは最後の最後に桐山照史本人を感じることができたからだと思います。


あと、私は声を大にして言いたい。
桐山照史はすごいんだよ!!!!
ついでに字も大きくしておきました。


大御所の方々の中にいても全くひけをとらない演技。なんなら私には照史くんがお芝居の雰囲気を作っているようにさえ見えた*1
カテコの時に背筋をピンと伸ばして立つ姿は、誇らしかった。
こんなにかっこいいんだよ!こんなにすごいんだよ!!自慢の自担なんだよって大声で叫びたいくらい。

あーーーーーーなんて素敵なんだ!!!!(語彙力)


そして、この舞台で松本幸四郎さんが大好きになりました。
それはそれは大物でらっしゃるのに、とてもお茶目でチャーミングな方だなと思いました。
初日やそれぞれの会場の楽日にお話をされているのを聞いて、なんて素敵な方なんだろうと思いました。
また、大千穐楽でお話しされていた言葉が忘れられません。

舞台は残らないもの。皆さまのお心の中にアマデウスが残ることを祈っている。

謙虚な方だなと思いました。
こんなに素晴らしい舞台だったのに、心に残ることを祈っているだなんて。
そうやって作り上げられた舞台だから、こうやって心に残るんだなぁと思いました。

松本幸四郎さんのファンの方に照史くんがどう映ったのかはわからないけど、少なくとも私は、この舞台で松本幸四郎さんの他の作品もぜひ見てみたいと思いました。

もう終わってしまって、寂しさしかないけれど、心に舞台アマデウスは残っているから。またこんな素敵な出会いがあることを祈ることにします。

最後に、幸四郎さんが心に残るのは舞台と恋愛だと言っていて、素敵な恋愛してくださいと言われたので………素敵な恋愛に向けて…がんば…り…たい……です……


無理かな…(小声)

*1:贔屓目なことは許してほしい

自担がいない少年収に行ってきた話

約1年半ぶりくらいに当たった少年収でしたが、桐山くんはアマデウスで松竹にいてお休みでした。

『毎回申し込むもの』

という位置付けなので、なんにも考えずに申し込んだら、このタイミングで当たるという、我ながら持ってんなーという事態。
行かないわけにも行かず、宮近担のお友達と行ってまいりました。

率直な感想は、

こんなに寂しいものとは思わなかった

でした。

ジャニーズ好きだし、岸くん*1もいるし、ジャニーズWESTだっているし、そこそこ楽しめるんじゃないか…って思ってました。
実際に始まってみると、そこにいつもいる自担がいないという、穴の空いた感がすごい…きっと桐山くんならこうしてるかなぁとか…失礼ながら思ってしまったり、あの笑い声が聞こえないのが寂しかったり、とにかく寂しすぎて全然笑えませんでした…

重岡担さんはこれをいつも味わっているのかと思うと、私が辛いだろうなぁなんて思っていたのが失礼だったなと思うくらいでした。
また、これが永遠にこうだったら…と思うと、死にそうな思いでした。すごくナイーブな話であることはわかっています。実際に経験したわけでもない私が何を言ったって、それは仮の話であって、実際に起きた話ではない。
もともとこういう話題は、外野がとやかくいうべきじゃないと思っていたけど、ほんとに外野はとやかく言うべきじゃないなと思いました。
だってわかんないもん。その人の気持ちなんて。辛いだろうことはわかっても、想像の域を出ないし、その人の担当への想いとか、考え方とかによっても全然違っちゃうし。

だから、話を聞いてよと言われたら、聞いてあげればいいし、吐き出したいのであれば吐き出させてあげればいいし、強がりたいなら強がらせてあげればよいし、好きにさせてあげればいいんだろうなと思った話でした。

余談ですけど、少年収にトラジャがいなかったので、宮近担の友達と、2人して自担がいない現場とか笑えないね…なんて話になりました。
彼女がどんな想いだったかはわからないけれど、2人では入れてよかったなって思いました。その子じゃなきゃ入れないなと思っていたけど、ほんとにそうでした。そんな友達がいるのはありがたいことだなぁ…

*1:ジャニーズJr.のユニットでPrinceに所属している岸優太くんです

初めて松竹座に行ってきた話

まさか私が松竹座に行く日が来るなんて。

松竹座=関ジュ

長い長いジャニヲタ人生で、1番縁遠い会場だと思っていました。特殊な世界感というか、イメージがあったし、関ジュ担になることはないだろうなぁと思っていたからです。

桐山くんを好きになって、松竹座は聖地なんだなと思ったし、ジュニア時代に行ったことがないことで、私は悔しいような、申し訳ないような、後ろめたいようなそんな気持ちを持っていました。
正確にいえば、今も持っています。

桐山照史が外部の舞台、しかも松本幸四郎さんの舞台で、松竹座に帰ってくる。
私なんかがその公演にいってもよいのだろうか。そんなふうに考えてしまって、二の足を踏んでいました。でも、こんな機会今度いつあるかわからない。この公演に行かないことでまた後悔する。そう思って、行くことを決めました。

そもそも松竹座って建物が美しいですよね。
あんなガヤガヤした道頓堀の真ん中に、あんな美しい建物があること自体驚きでしかないし、改めて見て、やっぱり建物が美しいと思いました。

実際に入ってみて、なんだか感慨深い思いでした。
ここで若かりし頃の桐山くんが頑張っていたんだ、そして今回はいわば凱旋のごとく、堂々と演技をしている。
ただただかっこよかったです。
涙が出るくらいかっこよかったです。

初めての松竹座が桐山くんの舞台でよかった。
他の誰でもない自担の公演だったこと、感謝しています。
思っていたよりも天井が高くて、広いんだなと思いました。そこに立つ桐山くんは言わずもがな、輝いていました。

ジャニーズWESTを好きになって、初めて行くところが沢山あるなぁ、嬉しいなぁと思っていましたが、今回の公演は全てが初めての会場。
久留米も楽しみです。

まぁ来週も松竹座に行くんですけどね。

アマデウス東京公演が終わった話

終わってしまいました。
アマデウス東京公演。

初日が9/24で休みなく10/9まで。
全39公演中、23公演が終わりました。もうとっくに折り返していたんだと改めて気づきました。

特に最後の4日間は三連休ということもあって、金土日月と4日間も東池袋に通うという、何やってるんだろうと冷静になっちゃだめな生活をしていました。*1

おかげですっかりアマデウスの世界に引きずり込まれて、最終的にピアノを楽しそうに弾いているモーツァルトを観るだけで泣けてくるという、自分でもよくわからない状態でした。

そんなに観に行ってどうするんたという議論はもちろんあるかと思います。私は記憶力がよくないので、一回みたくらいでは全然覚えられないですし、気づかないことも多くあります。実際、観に行く都度、新しい発見がありました。

人によってはこの舞台を暗いという人がいるかもしれません。でも多分誰の心にもサリエーリのような思いはあると思うし、大人の世界でうまく立ち回れないモーツァルトの思いもよくわかる気がするし、私にとっては日常を切り抜いたようなそんな感じにも思えて、明るくはないですけど、暗いばっかりという風には感じませんでした。むしろ前向きに生きようとさえ思える舞台でした。*2

それはもしかしたら、日に日に桐山くんが生き生きしていていくのを観れたからかもしれません。ファンなのでもちろん贔屓目かもしれません。でもモーツァルトを演じる桐山くんは、素晴らしかった。目が輝いているんです。かっこいいとかそんな言葉では表せないくらいかっこよくて、頼もしくて、誇らしかった。胸がいっぱいとはこのことだなと思いました。

みんなに見て欲しい。
こんなにすごいんだよってところを。

初日からこの23公演の間で、格段に良くなっているんです。いい意味で肩の力が抜けて、モーツァルトをいきている感じなんです。モーツァルトとともに成長している感じなんです。言葉にならないなりに言葉にしていたら、わけわかんなくなってきました…

舞台の中身に話を戻します。
私はずっとサリエーリは最後、救われたのだろうかと考えています。考えたところで答えは出ませんが。

モーツァルトを介して神を敵として生きていくことは、それまで彼が生きてきたカトリック教徒としての人生を否定することになっていたと思うから、それはそれで辛かったんじゃないかなぁと思うんです。

最期に、サリエーリは観客に向けて、皆を許すと言います。あれは妬む心を持つこと、そんな人間の弱さを神が許すと言っているのか、それとも、サリエーリが神に許されたいという気持ちで言っているのか…松本幸四郎さんはどう解釈されているんだろうなぁなんて思っています。

東京公演の最中に、映画も見ました。映画の方が優しい物語になっている気がしました。特にモーツァルトのレクイエム製作をサリエーリが手伝うシーンは、舞台ではなかったことだったので、すこし驚きました。またモーツァルトの音楽がうまれるところにサリエーリが立ち会うことで、神の声を聞くことができたのではないかと感じたので、サリエーリも多少救われたのかなと思いましたし、あのシーンはとても映画で好きなシーンになりました。
舞台では最後までサリエーリはモーツァルトの敵であり、神の敵であり、強く厳しくモーツァルトを追い込んでいく、まさに殺していると言ってもいいほどだったので、その点は映画と大きく違うところだなぁと思い、なんでこうしたんだろうと興味深く思いました。
映画を見たことで、当時の生活がすこしわかりやすくなって、舞台を観ていても周りが想像できたことも映画を見てよかったなと思ったところでした。
また、モーツァルトのお家をうまく想像できていなかったのですが、映画を見たことですこし想像しやすくなりました。

無宗教な日本人にはキリスト教の神という概念を理解するのが難しいように思います。*3そんな日本人に向けて、日本人が演出する舞台を観に行けたことは、よい経験になりました。
最近は何かと諦めることが多かったので、自分に向き合うきっかけにもなったような気がしました。

あの松本幸四郎さんのお芝居を生で観ることがあるのんて、考えてもいなかったので、桐山くんに感謝です。これから松竹、久留米と公演は続くので、最後まで怪我なくはしりきってほしいなぁと思います。
そして、また松竹でこの舞台が観れることを楽しみにしています。



アマデウス ディレクターズカット [Blu-ray]

アマデウス ディレクターズカット [Blu-ray]

*1:友達にいつかの夏も毎日六本木にいたよねと笑われました。分かる方には分かるかと

*2:現実に戻れば、即座に心が折れてしまうんですけどね

*3:パンレットにもそのようなことが書かれていました