じぶんしだい

不器用なじゃにおたによる独り言

担当について振り返った結果

20年近いジャニヲタ人生を振り返えって、頭が整理されました。文字にすることは悪いことじゃないですね。やっぱり。

文脈的に書かなかったのですが、担降りの背景には少なからず、ファンの方々の動きも関係があったりしました。マイペースに応援できることがほんと大事だなと思います。嵐もSexy Zoneも勝手にペースを乱してしまって、疲れてしまった。できないことを無理やりしてまで応援するのよくない(教訓)

書いてまとめてみるとこんな長ったらしいことになりますけど、気づいたら前の担当を見なくなってて、よくよく考えたらこれって担降りというものなのでは?というパターンばかりです。気持ちに区切りをつけるために、頭で考えて降りるという決断を最終的にするだけで、私は不器用なので1人に集中すると他が疎かになる。そして、気持ちが動いてることに気づく。照史くんはその典型だったなと振り返って思いました。

今はジャニーズWESTのファンの方とそんなに繋がってないですし、お話しすることもあまりないので、毎日好き勝手に照史くんを見て、ゴロンゴロン悶えてます。(正直少し寂しいですけど)関西ローカルの壁が高くて、リアルタイムで見ることも叶わないですし、みれるものをみれる時に、聞けるものを聞ける時にをモットーにやってます。夜遅くも起きてられないので、レコメンも途中で寝ますし、リトラも見ずに寝ます。ヒルナンは働いてるのでリアルタイムなんて不可能です。それでもすごい大好きです。毎日なんらかの照史くんを見て、癒されて寝る。素晴らしいジャニヲタライフ!!(そろそろ黙りましょうね)

松島くんの時にこれが最後の担当かなぁと思っていたのに、最後にならなかったわけですが、桐山くんが最後になるのかなと性懲りもなく思っています。

担当について考える⑤

気付いたら、⑤まできてた。そろそろ終わります。

実は2016年3月に少年倶楽部の収録に行っていました。(4月放送分です)記憶にある方もいると思いますが、滝様がきた回です。そこでリアデラが披露されました。滝様と河合郁人くんと桐山照史くんとすのーまんのパフォーマンスです。ジャニヲタとしてリアデラは見ないわけにいかないよね(きっとわかってもらえると思います)という気持ちで、双眼鏡を手に取りました。滝様を見るつもりが…照史くんを追いかけていました。

すごいかっこいい人いる!!!!!(フォント最大)

帰り道はふざけたテンションであきとくんいいわーと友達に話していました。もうこの時には心奪われていたんだと思います。

正直ジャニーズWESTはセク鬱のせいで見られませんでした。自担がなぜかJr.扱いされているのに、ジャニーズWESTはすごく楽しそうだったからです。見るのが辛くて辛くて避けていました。なので、桐山照史って人はこんなに踊れる人なのかと衝撃を受けました。そして、気になるなー気になるなーという時期が始まります。驚きなのは④記載した通り、号泣したWelcome to Sexy Zoneツアーと同時進行で気になっていたことです。自分でもよく理解できませんでした。こんな待ち望んだ瞬間だったのに、他の人を気になってる場合じゃなくない?と冷静に思う自分もいて、足踏み状態が続きました。

名古屋の公演が終わり、次は代々木、その次は城ホ(札幌と福岡はいきませんでした)

ずっと気になっていたことがありました。公演中のことですし、勘違いかもしれないので詳しくは書きません。でも幸せな公演になるはずだったのに、松島くんの行動で私は悲しい気持ちになりました。ずっと気になっていたのですが、たぶん大阪で見たのは絶対間違いなかったし、その場では笑ってしまったけれど、考えれば考えるほど軽蔑という言葉がしっくりくるような、そんな感情がふつふつと湧いてきました。そして少しずつ距離を置くようになりました。

今年の夏のTDC公演に行きました。距離を置くといいつつも、全ステしました。(6公演しかなかったので)初めてソロ曲をもらえました。とても嬉しかった。本人も嬉しそうでしたし、かっこよくて待った甲斐があったなと思いました。公演中、大阪でみたようなこともありませんでした。でも1度抱いた気持ちはそう簡単には消えませんでした。

時期を同じくして、人生は素晴らしいが発売されていました。TDC公演を見たのに、そっちが気になっていました。買ったらおしまいなんだろうなと思いながら、買いました。おしまいでした。

それから毎日PVとメイキングをみる日々が始まりました。少クラは全部録画してあったので(GJ私)それを見るようになりました。過去のシングルやアルバムを買い始めました。作品を見て、聴いて、メイキングを見て、照史くん以外のメンバーのことを知って、どんどん好きになりました。

ツアー以来、Sexy Zoneの曲は聴かなくなっていました。そもそも未だに歌割に格差はあるので、松島くんの声はあまり聞こえないんです。聴いてて悲しくなることもあるので避けていました。それがジャニーズWESTは毎日のように聴くようになって、だんだんこれは一時的なものなのだろうか…そんな風に考え始めたとき、松島くんとマリウスくんのラジオの公開録画に誘われました。迷いましたが、松島くんに会ったら、何か気持ちが変わったりするのかもしれない…と思い、行くことにしました。(松島くんのファンの方でほんとに心から行きたかった方からしたらこんなやつが行くなんてと言われても仕方ないと思っています)

結果、とても楽しいひと時になりましたが、不信感を払拭できるほどの何かはありませんでした。こうして私は今、桐山担なんだなと自覚しています。

KinKi Kidsを好きになったのが10歳〜11歳くらい。30歳をむかえるまで、途中2年ほどの空白を除いて、ずっとただただジャニヲタをしています。振り返ると色々あったなぁと思うけれど、毎日基本的にジャニーズの皆様のおかげで楽しく生きれています。死にたいなーと若かりし頃思ったこともありましたが、おかげで様で生き抜いてこれました。これからもたぶんジャニヲタなんだろうなぁと思います。


担当について考える④

松島くんの高校生の夏は六本木の地下に閉じ込められてました。よって、私も閉じ込められてました。2年ですよ、2年。勝利と2人でDKという年だったのに、2人が一緒の現場がなかったことを今でも恨みます。(そもそもこの体制を敷いた大人のことは忘れないと誓っています)

ただ現場があるのはせめてもの救いでした。地上波はおろか、BS、CSでさえ見ることのできなくなった松島くんでしたから、形はどうであれありがたかったなぁと思います。

六本木2年目が終わったあと、待ちに待った瞬間が訪れます。

5人で新曲!!!!!

3人でも大勢でもなく5人!!!!

嬉しかったです。ついにこの時が来たかと。リリイベにも行きました。5人の影が映った時、涙が出ました。やっとここまできたと。本人たち、中でも勝利くんがとても嬉しそうで幸せそうで、よかったなぁと感じました。

それでもまだ不安は残っていました。また3人になるんじゃないかと…この数年ですっかりトラウマになってしまって、嬉しいけれど、信じられない…という複雑な気持ちでした。

Qrに徐々に松島くんやマリウスくんが呼ばれるようになりました。らじらーが始まりました。バレーのサポーターを5人ですることになりました。シブ5時も決まりました。(時系列ぐちゃぐちゃだと思います)こうやって仕事が決まっていくにつれて、徐々にもう3人に戻ることはないのかなと思えるようになりました。

Welcome to Sexy Zoneが発売されました。やっと5人のアルバムと言えるものが発売できたなと思いました。それでも相変わらず松島くんやマリウスくんにはソロ曲はなかったですし、歌割も全然少なかった。いきなりは変わらないよね、仕方ないよねと思いました。5人の名義で出せるだけで幸せと思わなきゃいけないと思い込みました。

そしてこのアルバムを引っさげてのツアー。ガイシにSweety Girlが流れて、松島くんの歌声が聞こえた時、ここまで長かった…と大号泣しました。隣にいた中学生のお母さんがドン引きしてました。こんなはっぴーな曲でこの人号泣してる…と。(そりゃそうだ)

さらにコングラの歌割を変えて、5人それぞれが歌うパートができていて、これからは5人でやっていくんだという強い決意が見えました(当然号泣)

1公演目は泣きすぎて記憶がないくらい泣きました。後にも先にもこんなに泣くコンサートはないんじゃないかと思います。これでやっと、普通に応援できる。うちの子たちすごいんです!!とおすすめできると思っていました。

担当について考える③

誰かを悪く言うつもりはありません。でもそれが大きなきっかけになりました。

15周年の発表があったとき、相葉さんが昔から応援してる人たちとお祝いしたいと(というような趣旨の話を)言いました。なんの悪気もなかったこと、よくよくわかっています。素直にそう思うのも当然だと思います。ただ、当時の私は

あぁ私は行ったらダメなんだな

と思ってしまって、そこからはもうファンしてたらだめだなんだとどんどん自分を追い込んでいきました。

振り返ると別に気にしなくてもよかったのかもしれないなぁと思いますけど、それは今だから思えることで、当時は無理だったなぁと思います。

これが大きなきっかけになって、これから私はこのまま嵐を応援していくのかなぁと考え始めました。今思えば、このときにはある程度松島くんに降りる覚悟ができていたような気がします。すごくすごく考えたうえで、これ以上嵐を1番に応援していくことは、私の気持ちも壊れてしまうと思って、降りることを決断しました。2014年の6月のことです。

降りたと言っても、全部を一気にやめたわけではなくて、自分の中で1番が変わっただけで、やってることは変わりませんでした。

というのも、この時期は俗に言うセク鬱と言われる時期だったからです。Sexy Zoneの人数が3人に見えたり、9人に見えたり、それ以上に見えたりしていました(ほんとは5人です)松島くんとマリウスくんはドル誌でJr.のページにいました。Sexy Zoneのコンサートと銘打っているのに、そこに2人はいるのかとザワザワするような時期でした。

忘れもしないセクセカコンの横アリ公演。松島くんのバク転演出がなくなりました。5人で登場するシーンが3人になりました。そして…派生ユニットが発表されました。3人が正式メンバーみたいな話も出ていたと記憶しています。

それからは…何をするにも3人。発売するCDも3人名義ばかり。松島くんにいたっては、少年倶楽部にも出ない、そんな日々が続きました。Jr.と一緒にガムシャラに出ることもありました。そのガムシャラ公演がSexy Zoneのコンサートと日程がしっかり被っていて、あぁSexy Zoneじゃないんだなって思ったこともありました。前述の通り、ドル誌はSexy Zoneのコーナーではなくて、Jr.のコーナーにいました。この仕打ちはなんなんだろうと怒り、涙したこともありました。悔しくて。本人はすごく頑張っているようにみえて、それがさらに辛かったです。

こんな危機的状況においても、松島くんのファンをやめようと思ったことはありませんでした。きっと5人になってくれると信じていました。

担当について考える②

社会人になって無事ヲタクに復帰した私ですが、社会人の悪いところは有休がそこそこ自由に取れるところと、お金があるところで、怒涛の遠征三昧が始まりました。

友達はいなかったのですが、2011年くらいからTwitterを始めてフォロワーさんと遊ぶようになりました。それがきっかけで色んなところに遠征するようになったような気がします。彼氏と別れたこともあってどんどん加速していきました。

ひとつ問題だったのは、嵐の人気の異様さでした。チケットは取れないし、当落の話題はタブーとされていたし、とてつもなくピリピリしたタイムラインでした。楽しかったですけど、この時ばかりは苦しかったです。

そんな中、友達の1人が城ホでSexy Zoneのコンサートあるんだけど、くる?と誘ってくれました。

あーあのすごい名前でデビューした子たちね、というのが第一印象でした。まぁ友達に会えるなら…という軽い気持ちで遠征しました。きんき、あらしと完成されたコンサートばかり見ていたので、とても未完成なステージだなと率直に思ったのを今でもよく覚えています。でも、若さと未熟さの中に必死になって楽しんでもらおうとしている姿がありました。

そのあとも梅芸でSUMMERYっていうのがあるんだけど、くる?と言われて、行ったり、お正月にコンサートあるんだけど、と言われて行ったり…気づくと現場の数がどんどん増えていきました。

そんな中、松島聡くんのダンスが目に止まるようになりました。歌うパートがあるわけでもなければ、喋れるわけでもない。それでも見る都度ダンスがめきめき成長しているのがわかる。気になるなぁ…とだんだん松島くんを見るようになっていました。ただ、当時の松島くんは中学生か高校生かという歳で、私はとっくに社会人で、これはダメなやつだよと思っていました。それに二宮くんのことが当然1番でしたし、嵐優先であることに変わりはありませんでした。

そんな時嵐の15周年公演がハワイで行われることが発表されました。

担当について考える①

巷で流行っていた担降りブログを見ていて、みんな色々考えてるんだなぁと思っていました。

私はというと元々のジャニヲタの始まりは10歳くらいで見た初代金田一なのです(のちにそれが堂本剛という人だと知ることになる)

それから20歳過ぎくらいまでずっとKinKi Kidsを応援していて、所謂オタクをしてきました。

当時の剛くんの世界観は今以上に独特で、このまま引きずり込まれたら戻れなくなるかもしれないという危機感から卒業を決め、大学のゼミに打ち込んでいました。それから2年くらいはヲタ卒できていたのです(これを奇跡と呼びます)

ただ会社に入ったら何かと辛くて(今と比べれば天国ですけれど、当時の私には辛かったんです)テレビを見たらなんとそこに楽しそうに笑う嵐がいたんですよ。

元々Jr.の頃の二宮くんが好きで、ドラマとかは見ている所謂お茶の間だったわけです。当時はずっとKinKi Kidsのファンだったので、嵐ファンになるっていう概念がなかった。掛け持ちとかいうことも考えたことがなくて。ただ気づいたらすごい追いかけるようになってて、ファンクラブに入ってて、DVD買っていて、めでたくヲタク復帰を果たしたわけです。それが2008〜9年の出来事です。

ちょうど嵐の人気が意味不明なレベルにうなぎのぼろうとしている時ですね。今思えばとんでもない時期に復帰しちゃったなぁと思います。

一旦ここまで。

これからさらに一山超えて、現在に至ります。



自分次第

ブログ開設してみた。

ブログ自体はとても久しぶり。

ブログタイトルはジャニーズWESTの「人生は素晴らしい」で桐山照史さんのソロパートになっている歌詞からいただきました。

正直毎日辛いばっかりですけど、この歌を聴いて、自分次第だなってすごく心に響いたので。

いつまで続くかわからないけれど、どんなブログにするかも、いつまで続けるのかも、自分次第。

マイペースにやってみます。