じぶんしだい

不器用なじゃにおたによる独り言

アマデウス東京公演が終わった話

終わってしまいました。
アマデウス東京公演。

初日が9/24で休みなく10/9まで。
全39公演中、23公演が終わりました。もうとっくに折り返していたんだと改めて気づきました。

特に最後の4日間は三連休ということもあって、金土日月と4日間も東池袋に通うという、何やってるんだろうと冷静になっちゃだめな生活をしていました。*1

おかげですっかりアマデウスの世界に引きずり込まれて、最終的にピアノを楽しそうに弾いているモーツァルトを観るだけで泣けてくるという、自分でもよくわからない状態でした。

そんなに観に行ってどうするんたという議論はもちろんあるかと思います。私は記憶力がよくないので、一回みたくらいでは全然覚えられないですし、気づかないことも多くあります。実際、観に行く都度、新しい発見がありました。

人によってはこの舞台を暗いという人がいるかもしれません。でも多分誰の心にもサリエーリのような思いはあると思うし、大人の世界でうまく立ち回れないモーツァルトの思いもよくわかる気がするし、私にとっては日常を切り抜いたようなそんな感じにも思えて、明るくはないですけど、暗いばっかりという風には感じませんでした。むしろ前向きに生きようとさえ思える舞台でした。*2

それはもしかしたら、日に日に桐山くんが生き生きしていていくのを観れたからかもしれません。ファンなのでもちろん贔屓目かもしれません。でもモーツァルトを演じる桐山くんは、素晴らしかった。目が輝いているんです。かっこいいとかそんな言葉では表せないくらいかっこよくて、頼もしくて、誇らしかった。胸がいっぱいとはこのことだなと思いました。

みんなに見て欲しい。
こんなにすごいんだよってところを。

初日からこの23公演の間で、格段に良くなっているんです。いい意味で肩の力が抜けて、モーツァルトをいきている感じなんです。モーツァルトとともに成長している感じなんです。言葉にならないなりに言葉にしていたら、わけわかんなくなってきました…

舞台の中身に話を戻します。
私はずっとサリエーリは最後、救われたのだろうかと考えています。考えたところで答えは出ませんが。

モーツァルトを介して神を敵として生きていくことは、それまで彼が生きてきたカトリック教徒としての人生を否定することになっていたと思うから、それはそれで辛かったんじゃないかなぁと思うんです。

最期に、サリエーリは観客に向けて、皆を許すと言います。あれは妬む心を持つこと、そんな人間の弱さを神が許すと言っているのか、それとも、サリエーリが神に許されたいという気持ちで言っているのか…松本幸四郎さんはどう解釈されているんだろうなぁなんて思っています。

東京公演の最中に、映画も見ました。映画の方が優しい物語になっている気がしました。特にモーツァルトのレクイエム製作をサリエーリが手伝うシーンは、舞台ではなかったことだったので、すこし驚きました。またモーツァルトの音楽がうまれるところにサリエーリが立ち会うことで、神の声を聞くことができたのではないかと感じたので、サリエーリも多少救われたのかなと思いましたし、あのシーンはとても映画で好きなシーンになりました。
舞台では最後までサリエーリはモーツァルトの敵であり、神の敵であり、強く厳しくモーツァルトを追い込んでいく、まさに殺していると言ってもいいほどだったので、その点は映画と大きく違うところだなぁと思い、なんでこうしたんだろうと興味深く思いました。
映画を見たことで、当時の生活がすこしわかりやすくなって、舞台を観ていても周りが想像できたことも映画を見てよかったなと思ったところでした。
また、モーツァルトのお家をうまく想像できていなかったのですが、映画を見たことですこし想像しやすくなりました。

無宗教な日本人にはキリスト教の神という概念を理解するのが難しいように思います。*3そんな日本人に向けて、日本人が演出する舞台を観に行けたことは、よい経験になりました。
最近は何かと諦めることが多かったので、自分に向き合うきっかけにもなったような気がしました。

あの松本幸四郎さんのお芝居を生で観ることがあるのんて、考えてもいなかったので、桐山くんに感謝です。これから松竹、久留米と公演は続くので、最後まで怪我なくはしりきってほしいなぁと思います。
そして、また松竹でこの舞台が観れることを楽しみにしています。



アマデウス ディレクターズカット [Blu-ray]

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*1:友達にいつかの夏も毎日六本木にいたよねと笑われました。分かる方には分かるかと

*2:現実に戻れば、即座に心が折れてしまうんですけどね

*3:パンレットにもそのようなことが書かれていました